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研究紀要

研究紀要:第34号(2018年)

執筆者 論題 要旨
塚原 晃 長崎版画としての《姑蘇石湖倣西湖勝景》 2016年、中国の蘇州美術館で展示された《姑蘇石湖倣西湖勝景》は、乾隆期に制作された蘇州版画の代表作として扱われたが、その制作地についてはかねてから意見が分かれていた。本稿では、蘇州版画の都市景観図の特徴と、その日本への伝播の状況を踏まえて、画中に描かれた景観表現と描写技法の特徴から、《姑蘇石湖倣西湖勝景》が十八世紀後半の長崎で制作されたことを明らかにする。
三好 俊 中世争乱の舞台としての有馬―落葉山城を中心に― 神戸市北区の有馬は、日本有数の温泉地であるとともに、長い歴史を伝える地域でもある。その発展は、特に中世にみられ、織豊期における豊臣秀吉による支配を経てピークを迎える。しかし、温泉地として発展していく一方、有馬は中世の争乱に巻き込まれることとなった。その舞台の一つに、現在は遺構のみが確認できる落葉山城がある。落葉山城は、限られた範囲ではあるが文献史料においても動向をみることができ、特に三好宗三が城主であった天文年間に起こった合戦の様子がわかる。この合戦は、三好氏や別所氏といった摂津・播磨国に拠点を置く勢力の争いの中に位置づけられる。三好宗三が退城した後、落葉山城は有馬氏の支配下となり、重要拠点からは外れることとなった。織田信長の侵攻に備え整備が行われるものの、有馬は近隣地域とともに平定され、役目を失った落葉山城は廃城となった。有馬は、古文書・記録、または近世の地誌類によって歴史をひも解くことができ、温泉地としての発展だけにとどまらず分析を加えることで、より広範囲の歴史像を復元できるものと考える。
石沢 俊 〈修理報告〉重要文化財 絹本著色織田信長像 近年当館が実施した重要文化財 絹本著色織田信長像(天正11年賛)の解体修理報告。当館の資料保存の取り組みとして、本修理の概要とそこで得られた知見の報告を目的としている。解体修理で得られた知見は大きく二つある。ひとつは裏彩色がよく残っていた上、表裏を同系色で塗り分けていたことが判明した。さらに、表面の汚れ除去によって、束帯の木瓜紋が明瞭となった。本図は後世の修理で上畳などに補筆が認められるが、京都・大雲院本との比較から制作当初はより装飾が施されていた可能性がある。歿後間もない遺像として、本図が信長像のひとつの規範となった可能性を指摘し、さらなる考察の端緒とするものである。