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研究紀要

研究紀要:第17号(2001年)

執筆者 論題 要旨
塚原 晃 近代美術と地図 -川上冬崖と岩橋教章- 明治14年(1881)の「兵庫神戸実測図」は、当時の大縮尺都市図として傑出した品質をもつ地図だが、その製作には内務省地理局に勤務していた岩橋教章が大きく関わっていた。岩橋は、明治初期の代表的な洋画家の一人として知られるが、ウィーン万国博覧会に際して渡欧して、最新の印刷技術を日本にもたらした。一方同時期の陸軍省参謀局(参謀本部)では、軍事行動のための広域地形図の作成が急がれていたが、その中核にいたのが、同じく初期洋画家として知られる川上冬崖であった。冬崖らは石版印刷による絵画的地図製作にこだわっていたが、陸軍上層部との思惑がうまく噛み合っていなかったようである。そのような中で、冬崖は謎の死を迎え、陸軍は内務省地理局の地図事業を吸収、岩橋教章の息子・章山などの内務省系の技師も動員して、近代地図製作史の新たな基礎を形成することになる。
川野憲一 語りかける図像 太山寺蔵絹本着色愛染曼陀羅をめぐつて 太山寺蔵絹本著色愛染曼荼羅は、鎌倉時代前半の制作と考えられる鮮やかな色彩に彩られた絵画である。重要文化財に指定され、その存在は早くから知られていたが、その特異な図様から典拠については不明とされてきた。本稿では、特異さのみが強調されてきた感のあるこの画像を図像学的に再検討し、それが台密・谷流、長宴周辺で生み出されたと考えられる『仏母愛染最勝真言法』を典拠とし、基本的に山門系の図像によりながらも独自の改変も認められることを指摘した。また、さらに考察をすすめて、その独自な図像による絵画制作の背景に13世紀前半、地方における一大寺社勢力として独自の道を模索し始めた太山寺僧侶の姿を想定した。
勝盛典子 『御用唐木細工物雛形』 について -近世後期長崎における工芸史料の紹介- 近年、近世後期の輸出漆器について、京都か長崎かという製作地の問題が認識されるようになってきた。筆者は、西川如見著『長崎夜話草』(享保5年刊)に長崎製の塗物道具が皆唐風とされていることに注目し、長崎の青貝細工の製作状況を把握する第一歩として、この時期の長崎工芸の特色である「唐風」のイメージを喚起することを課題と考えた。 本稿では、長崎の御用唐木細工師が石谷備後守(宝暦12年補職)から大草能登守(天保4年転免)にいたる歴代の長崎奉行に献上した唐木細工の雛形に、寸法・材質・文様・技法などを注記した『御用唐木細工物雛形』を、先に述べた課題に応えるための基礎資料として翻刻・紹介し、若干の考察を加えている。