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研究紀要

研究紀要:第10号(1993年)

執筆者 論題 要旨
赤木康司 『伊能図』に関する若干の考察 大谷亮吉編『伊能忠敬』や保柳睦美編『伊能忠敬の科学的業績』など、既存の伊能図研究書を批判的に再考証し、筆者が確認した現存伊能図を列記したうえで、短いコメントを付している。論文後半では、博物館所蔵の「沿海地図」(文化元年)と他機関所蔵の東日本小図とを比較研究している。本稿では特に、現存伊能図を確認することの必要性を述べ、模写伊能図を分類する4項目の基準を提示し、全国にわたる関連資料の調査を提唱するなど、伊能図研究の道筋を説いている。現在、伊能図研究は隆盛をおびているが、その口火を切った論文といえる。
塚原晃 鳩谷天愚孔平伝 -司馬江漢周辺の一奇人 江戸時代後期を代表する洋風画家・司馬江漢(1747-1818)は、その晩年期において、年齢詐称や偽死などの奇行をおこなったことでも知られている。その一因として、一端の知識人でありながら大衆に向かって胡散臭いパフォーマンスを行い、江戸市中、特に蘭学者の間でも目立つ存在であった鳩谷天愚孔平の存在に注目したい。江漢の『春波楼筆記』にも見られるように、江漢にとって鳩谷の存在は確かに心地好いものではなかった。だがそれは自分には理解できない存在としてではなく、ある面で己れの境遇によく似た、鏡のような存在として嫌悪感を抱いたのではなかろうか。 ほぼ同時期の江戸に於いて江漢と鳩谷が年齢詐称を行っていたらしい。この件における両者の影響関係を立証づけることは困難だが、二人の間に何らかの因縁を感じさせる。そして江漢による文化十年の偽死というのも、鳩谷に与えられた評語「虚談有候得共、よのがひになる事はいはず」という言葉がふさわしい行為であった。