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研究紀要

研究紀要:第8号(1991年)

執筆者 論題 要旨
森田 稔 「石峯寺経塚」遺物の再検討 神戸市北区淡河町に所在する石峯寺経塚出土とされる一群の遺物を再検討した結果、当館所蔵の永久5年の奥書がある法華経残片を含む重要美術品の認定を受けた6件は「筑紫国某所経塚出土」および出土地不明の資料であることが確認された。それに伴い、石峯寺出土の瓜蝶鳥刻文壺の年代観が「永久5年」の呪縛から解き放たれ、新たに中世丹波窯発生の問題を考察する必要にせまられた。検討の結果、石峯寺出土の瓜蝶鳥刻文壺は渥美窯系の技術がみられることなどから12世紀末葉に比定された。また、中世丹波窯は東海諸窯の影響を受けつつ12世紀第4四半期に成立したものとみるに至った。
問屋真一 五輪塔形曳覆曼荼羅について
-中世版木資料からの考察を中心に-
曳覆曼荼羅とは、葬送の際、亡くなった人の身体の上に曳き、あるいは覆い、そこに記された真言などの効力で亡き人の滅罪を約束して成仏を果たさせるもので、本来伝世しないものである。本稿では各地に残る曳覆曼荼羅を刻む(多くの場合、胎蔵界種字曼荼羅中台八葉院形・幡形・墓所点の最略も刻む)版木を題材に、「亡者曳覆曼荼羅」書様との異同、版木の比較検討から、室町時代の類型を想定し、中世における展開を密教化した阿弥陀信仰や五輪五体思想と関係づけ、また滅罪真言の追加、摺物化による民衆への普及について考察した。また江戸時代の版木を紹介し、室町時代以降の展開について検討している。