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研究紀要

研究紀要:第5号(1988年)

執筆者 論題 要旨
田井玲子 一人のイギリス人の残したアルバムから ―明治20年代前半の神戸外国人居留地の一側面 当館では、近代都市神戸の原点ともいえる外国人居留地に関する資料を収集し、順次展示や出版物などに活用してきた。 そのなかから、英国系の海運会社バターフィールド&スワイヤ(Butterfield & Swire居留地 103番) 神戸支店の責任者バガレー(H.L.Baggallay) が残したプライベートアルバムを選び、「横浜写真」を代表する写真師日下部金兵衛の撮影した居留地の風景写真、コンノート公来神 (明治23年 1890)の記念に在神イギリス人らが贈呈した祝辞、各種の記録類など、日本側・外国側双方の資料を用いて、居留地を拠点とする外国人たちの公私にわたる活動のようすを明らかにしている。
そこからは、外国人たちのくらしぶりや関心事、横浜など他の開港場のようす、日本人との接点など、神戸や日本の近代化の様相を具体的に把握することができた。
勝盛典子
成澤勝嗣
渡辺鶴洲家襲蔵粉本の研究 江戸時代に官画派が最大公約数的常識として評価されていたのは事実であり、絵画史を歴史事象の一環として、文化史的側面から位置づけようとするならば、先ず官画派の実態を正しく把握し、活動状況を虚心に眺めてみることが一つの基礎にならざるを得ない。
本稿では、江戸時代アカデミズム研究の中でも最も未知の世界である長崎の官画派をとりあげ、文化・文政期を中心に、活躍した渡辺鶴洲(一七七八-一八三〇)の画業について、当館が所蔵する粉本資料を紹介しながら概観した。さまざまな中国画が流入し、やがて全国へ広がっていく中で、その窓口役をつとめていた鶴洲が残した粉本は、江戸時代絵画史を考えていく上での重要な資料になるのではないだろうか。また、ややもすれば洋風画と南頼派のみに傾きがちな長崎派研究の欠落を埋める意味からも、ここに紹介しておく。