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研究紀要

研究紀要:第2号(1985年)

執筆者 論題 要旨
成澤勝嗣 狩野内膳考 狩野内膳(1570--1616)は戦国武将・荒木村重の家臣の子として生まれ、狩野派の門人となった画家である。当館の所蔵する「南蛮屏風」や、豊臣秀吉七回忌の祭礼を描いた「豊臣祭礼図屏風」(豊国神社蔵)の筆者として知られている。豊臣家のお抱え絵師として活躍し、「南蛮屏風」を得意の画題としたらしい。
本稿では彼のサインをもつ作品の中から、内膳自筆と考えられる基準作をまず選定した。ここには内膳21歳の若描きである須磨寺所蔵の「平敦盛像」も含まれる。さらに工房作を検討した結果、「南蛮屏風」や水墨略画の押絵貼については、内膳没後も工房内で作り続けられていた可能性が高いことを指摘した。
塚本桂大 江戸時代初期の日本図 江戸時代初期の大型日本図の図形を三系統(「国立国会図書館蔵日本図」系、「家光枕屏風日本図」系、「南波家蔵日本図屏風」系)に分類し、記載内容を詳細に検討し、各系統図の特色を明らかにしている。江戸時代初期の日本図には石高や大名の名前などが記されるのが普通だが、筆者はそれに注目し、それぞれの系統図からそこに記された居城地と大名名と石高を抜き出し一覧表とし、古地図資料をより一般的に活用できる方法を試みている。また筆者は、江戸時代初期大型日本図の研究者である川村博忠の主張する国会図書館図=寛永日本図説を、その国絵図との関係において成立しないことを述べ、学界に一石を投じた。
岡泰正 安田雷洲筆「赤穂義士報讐図」と若干の銅版画作品をめぐって 本稿では,本間美術館所蔵の安田雷洲による「赤穂義士報讐図」と神戸市立博物館所蔵の「上杉武田信州川中島戟」を中心に考察している。その上で、日本に舶載された西洋画の構成が,江戸時代末期の画家,安田雷洲が描いた洋風画に借用されていることを指摘し,その消化過程にみられる美術史的意義を明らかにしている。