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世界四大洲図・四十八国人物図屏風

アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカの4大陸図と、周囲にその地に関わる人物図を12区画ずつ並べています。アフリカ・アジア図の上部には中央部に古代中国の帝王たち、黄帝・神農・伏羲が並んでいて、その左右には、古来からの中国画の主題である耕織図(水稲耕作と蚕織作業の情景)と韃靼人の狩猟風景が展開しています。いずれも室町時代以降の日本でも描かれるようになった主題です。ヨーロッパ・アメリカ図の上部には、右側に海外の様々な動物たちが見られますが、そのうちの犀は「坤輿全図」に描かれているものと類似しています。ヨーロッパ図の上部に描かれている海戦図については、1666年のイギリスとオランダの4日間戦争を描いた作品に基づくとする説もあります。左右隻の上部の図様は、それぞれ西洋と東洋の世界観を表し、ヨーロッパとアジアの創世神話と、「知力」「武力」「生業」を対比させる意図が見られます。

この屏風絵の中心である4大陸図については、アムステルダムの地図制作者・G. ファルク(1650~1726)による、ほぼ同寸の銅版4大陸図に基づいています。
長崎オランダ商館の貿易文書やオランダ商館長日記によると、1690年に来航したオランダ船が、ファルク制作と推測される世界図・四大陸図5枚組を舶載し、これらはしばらくの間商館長の部屋に掲げられていました。1718年1月には、出島の商館長室に飾ってある4枚の世界地図、つまりファルクの大陸図を町に運んで模写したいという要請が長崎奉行から出され、商館長が了承したというのです。その目的は、当時の将軍・徳川吉宗(1684〜1751)の、海外への好奇心を満たすためだと、商館長日記には記されています。またその際に、商館長室にあった海戦図も貸し出されており、これがヨーロッパ図の上部に描かれた海戦図の原図だった可能性があります。

すなわちこの屏風は、1690年に舶載された四大陸のファルク壁地図等の図様を、1718年に8代将軍吉宗に献上する目的で1組の大画面作品として再構成したものと考えられます。なお、その中心となった絵師としては、当時長崎で唐絵目利(からえめきき。長崎奉行のもとで輸入絵画の鑑定や模写などの役目)を勤めていた小原慶山(?〜1733)が挙げられています。

【古地図】【江戸時代の洋学】【長崎ゆかりの近世絵画】
名称 世界四大洲図・四十八国人物図屏風 せかいよんたいしゅうず・しじゅうはちこくじんぶつずびょうぶ
作者名 小原慶山か おばらけいざん (-1733)
時代 江戸時代、享保3年/1718年
材質 紙本著色
サイズ 各163.8×362.8
員数 6曲1双
その他の情報

来歴:池長孟→1951市立神戸美術館→1965市立南蛮美術館→1982神戸市立博物館

参考文献:
・勝盛典子「世界四大洲図・四十八国人物図屏風考―典拠と成立事情をめぐって」(『神戸市立博物館研究紀要』第31号) 2015
・神戸市立博物館特別展『コレクションの精華』図録 2008
・神戸市立博物館特別展『異国絵の冒険』図録 2001
・松田清「石川大浪筆「西洋婦人図」の源流」(『大和文華』105号 2001)
・三好唯義「江戸時代の日本へ伝わったオランダ製壁地図」(『関西大学博物館紀要』創刊号 1995)
指定区分
分野 日本画